「伝統」を今に残した平成の30年

2018年9月9日 房日新聞に掲載されました当社宮司 酒井昌義からのメッセージです。


平素より鶴谷八幡宮のご神威発揚、護持に関しましては、格別のご厚誼を賜り深く感謝申し上げております。
今年の夏は、猛暑が続くなど異常気象により、西日本・東北・北陸方面では大雨・土砂災害・台風21号・北海道の地震等のために亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、また被災された皆様に対しても衷心より御見舞申し上げますとともに、一日も早い復興をご祈念申し上げます。

こうした中、本年も「安房国司祭やわたんまち」(千葉県指定無形民俗文化財)が9月15、16日に六所宮ろくしょぐうの神輿のご神幸しんこう、北条地区の山車、お船の入祭のもと、先祖の築いた伝統文化を今に継承、斎行さいこうされます。

当祭礼は天平宝字てんぴょうほうじ(755年)、上総国より独立し、安房国あわこくが建国され、現南房総市府中(旧三芳村府中)に国内の諸神を合祀ごうしした社が創建され、「総社そうじゃ」と称されたのが起源で、この宮で祭事が国司こくしによって執り行われるようになり、その総社が当社の前身と伝えられます。このお祭りは現在、「やわたのまち」がなまって「やあたんまち」と呼ばれ親しまれています。

「伝統」を今に残した平成の30年 安房国司祭「やわたんまち」 鶴谷八幡宮宮司 酒井昌義(房日新聞 2018/09/09 掲載)

また一方、国司によって執り行われていることが祭りの性格にかなっていると言われ、いつしか「国司祭」とも呼ばれるようにもなってきました。そして、大正の中期までは放生会ほうじょうえを斎行しておりました。

全国4万余社が鎮座する八幡宮、八幡神社の総本宮は九州大分県の宇佐神宮うさじんぐうですが、養老4年(720年)の頃、特殊神事として行われ、京都の石清水八幡宮いわしみずはちまんぐう、さらには鎌倉の鶴岡八幡宮つるおかはちまんぐうなどをはじめとして各地の八幡宮、八幡神社の祭事となり、当八幡宮においても国司祭の内、祭日変更以前は9月15日に出祭神社の神輿が八幡の海岸にお浜出をして放生会を斎行した記録が残されています。

それと平安期の中期、諸国では国内の代表的な神社6社か8社を選んでこれを合祀、六所宮として総社と同じ社殿、または境内に祀り、総社の重要な神事として六所祭ろくしょまつりを執り行うようになりました。
この時代、安房国でも総社に相殿あいどのとして安房あわ神社をはじめ、洲宮すのみや神社、下立松原しもたてまつばら神社、手力雄たぢからお神社、山宮やまみや神社、山荻やもおぎ神社、莫越山なこしやま神社、木幡こはた神社、のちに高皇産靈たかみむすび神社(高井)、子安こやす神社(湊)が加わり、六所宮と称し六所祭を斎行するようになりました。この六所祭の流れが現在の「安房国司祭やわたんまち」につながっていると考えられます。

この祭りが始まったのは定かではありませんが、山荻神社に古くから伝わる祝詞のりとや、手力雄神社、木幡神社、莫越山神社などの古文書に、この祭りの起源は延久年間えんきゅうねんかん(1069〜1074年)に始まったという記述がありますので、だいたいその頃かと推測されます。明治の初めまでは別当寺である那古寺なごじとともに執り行われておりました。

その後、950有余年の時代を超えて引き継がれ、現在も出祭神社の宮司、神社役員の参列のもと、六所祭の神前に府中の元八幡神社の井戸(南房総市指定文化財)の清水を供え(その昔、この井戸水で神饌しんせんを調理したと言われている)、また莫越山神社で醸造された神酒を供え、六所祭を執り行っております。

昭和51年9月には、創立1000年祭の式年大祭しきねんたいさいを祝いました。先人が伝統を護りとおしてきたおかげですが、この伝統をどのように護り、継承していくかが、現在を生きる我々の今後の課題かと存じます。

山車、お船の入祭ですが、手力雄神社の石井家の祭事日記の中に、天保10年(1840年)8月16日(旧暦)、「当年より御神輿いまだ御旅屋(御仮所)にあられ候うち「付け祭」として相過ごし候よう取り決め候事」とあり、山車、お船の入祭が始まったようです。

時代が前後しましたが、源頼朝公が鎌倉に幕府を開き武家階級が勃興するにつれ、国司の力が衰え、源実朝公が建保元年(1213年)にこの八幡の地に新たに社殿を創建し、第15第応神天皇を主祀神として遷座され、社名も総社から鶴谷八幡宮と改変され800有余年になります。鎮座地、名称が変わっても総社の伝統は鶴谷八幡宮が、安房国司祭や六所祭を関係各社とともに引き継ぎ伝統を護りながら、里見、徳川時代を経て現在の「安房国司祭やわたんまち」が執り行われています。

当八幡宮は、里見一族170年の歴史の中、代々の城主が当社を崇敬し社殿造営、改修され、中でも里見第10代城主、忠義公が奉納された刀「守家」をご宝刀としてお祀りしております。

今日の「安房国司祭やわたんまち」は、昔と比べ伝統の一部、また運営等が異なってきたことと思いますが、これは時の社会環境の変化で、やむをえないことと思います。戦後73年を経て時代は大きな転換期を迎えています。祭りはイベントと異なり、伝統を護り祭事を確守することが基本です。

変わりいく生活環境や社会情勢に適切に対応していくことは、現代社会を生きる者にとって重要な課題であり、神社界も例外では有り得ないものです。長い歴史を持つ我が国の先人に学ぶという習慣の積み重ねによって「伝統」は護持される。「伝統」とは決して「形式」のみに固執することではない。確かに近年の情報・情報通信技術の進歩には目覚しいものがあります。

今後、神社・神職として、この技術を有効に活用していくことが期待されますが、新しい「形式」の中に「尊厳護持」の精神を生かしていくことが、現在を生きる我々の責務ではないでしょうか。先に申しのべた通り先人が守り伝えてきたものを、次代につなげて参りたいと存じます。今後とも、氏子・崇敬者皆様のご支援ご協力のほど、お願い申し上げます。